読書スピード計測


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　序章　身代金、一億円なり

『宿泊客の子供を誘拐した。身代金は一億円。警察には知らせるな。《伊豆の踊子》より』
　いつものように新井旅館の第七代目女将の森桂子 が出勤してパソコンを立ち上げ、メール・ボックスを開くや、真っ先に飛び込んできたのがこのメールである。
　最初「悪い冗談だ」と桂子は思った。
　修善寺温泉で最も伝統と格式を誇る新井旅館は、《国の登録文化財の宿》としてホームページを開設しており、ここには宿泊予約用のメール・アドレスも載っている。
　だから、出勤したら真っ先にメール・ボックスを開くのがいつもの習慣で、広く一般に公開している以上は悪意のある者が悪戯メールを送りつけることも不可能ではない。
　が、五秒、十秒と、徐々に時間が経つにつれて、「ひょっとして、これは現実に事件が起きているのでは」という不安感が、じわじわーっと込み上げてきた。
　心当たりがあったのである。
　新井旅館では最も宿泊料金の高額な、ホテルならスイート・ルームに相当する吉野の棟の吉野の間に、親子の三人連れが泊まっていた。
　宿泊料金は一人につき一泊六万円、三人トータルでは十八万円プラス消費税および入湯税で、十八万九千四百五十円となる。
　もっとも、子供に関しては多少の割引料金が適用されるが。
　いずれにせよ子供は小学校の高学年の女の子で、よほどお金が有り余っていなければ単なる家族旅行で宿泊するような部屋ではない。
　しかも、宿泊客の苗字は泉野で「いずみの」ではなく「いずの」と読ませる。
　おまけに、宿帳に書いてもらった娘の名前は、舞だった。
「いずの」を「伊豆の」と語呂合わせで考えれば、「舞＝踊り子」という連想にも、ストレートに結び付く。
　メール差出人の《伊豆の踊子》は泉野舞が被害者だと暗示しているのではないか。
　桂子の胸中で懸念はいよいよ急速に膨張していった。

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