読書スピード計測


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保吉は早々母のところへ彼の作品を見せにいった。何か縫い物をしていた母は老眼鏡の額越しに挿絵の彩色へ目を移した。
彼は当然、母のロから褒め言葉の出るのを予期していた。しかし母はこの彩色にも彼ほど感心しないらしかった。
「海の色はおかしいねえ。なぜ青い色に塗らなかったの？」
「だって海はこういう色なんだもの。」
「代赭色の海なんぞあるものかね。」
「大森の海は代赭色じゃないの？」
「大森の海だって真っ青だあね。」
「ううん、ちょうどこんな色をしていた。」
母は彼の強情さ加減に驚嘆を交えた微笑を漏らした。が、どんなに説明しても、 ーいや、かんしゃくを起こして彼の「浦島太郎」を引き裂いた後さえこの疑う余地のない代赭色の海だけは信じなかった。……
「海」の話はこれだけである。もっとも今日の保吉は話の体裁を整えるために、もっ と小説の結末らしい結末を付けることも困難ではない。例えば話を終わる前に、こういった数行を付け加えるのである。ー「保吉は母との問答の中にもうーつ重大な発見をした。それは、誰も代赭色の海には、ー人生に横たわる代赭色の海にも目をつぶりやすいということである。」
けれどもこれは事実ではない。のみならず満潮は大森の海にも青い色の波を立たせている。すると現実とは代赭色の海か、それともまた青い色の海か？所詮は我々のリアリズムも甚だ当てにならぬというほかはない。かたがた保吉は前のような無技巧に話を終わることにした。が、話の体裁は？ー芸術は諸君の言うように何よりもまず内容である。形容などはどうでも差し支えない。

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