速読書評『ねにもつタイプ』
夏目インストラクター書評『ねにもつタイプ』
岸本 佐知子 (著)
208ページ
観察と妄想と思索が渾然一体となったエッセイ・ワールド。ショートショートのような、とびっきり不思議な文章を読み進むうちに、ふつふつと笑いがこみあげてくる。
【読書の所要時間】 1時間(熟読で1回)
とにかくおもしろい。こういうシュールなエッセイが好きだ。本文の要点を得たクラフト・エヴィング商會の挿絵もくだらなくて素敵だ。
著者は翻訳家の岸本佐知子。小説の翻訳というのは難しい。単純にその言語がわかるだけでなく、訳者の文学性も高くなくてはならないと思う。岸本さんの訳書ではJ・ウィンターソン『オレンジだけが果物じゃない』や、M・ジュライ『いちばんここに似合う人』などが好きだ。
本書はエッセイだが、どこまでがリアルなのかわからない。ほんとうらしいうそ、うそらしいほんとうが詰まっているような感じだ。
著者がふだんから気になっている釈然としないことや、こどもの頃の記憶などについて作家らしい鋭い観察眼でみつめている。こどもの頃の思い出について語っているエッセイについてはW・ベンヤミンの『1900年頃のベルリンの幼年時代』のような趣もあり、とりわけノスタルジックな感じがする。
本文から察するに著者はたくましい想像力を備えたこどもであったようだ。ひとりあそびをよくしていたようで、曇り空をみつめては落ちてくる埃を目で追ってみたり、金網に目を凝らし、向こう側の景色とこちら側の遠近感の逆転を楽しんでみたり。そんなとき決まって「ぼんやりしている」と注意されたそうだが、著者にいわせてみれば「自分としてはこんなにも激しく遊んで、時には気絶しそうなほどの興奮を味わっているというのに、傍目には一人でぼんやりしているようにしか見えないのかと思うと、釈然としなかった。」(「目玉遊び」より)ということだ。
岸本さんのエッセイは、普段さして気に留めていないけれども、いわれてみればああそうだなというものが多い。本文中の「むしゃくしゃして」というエッセイでは次のようにある。
そういえば、ニュースなどで「犯人は訳のわからないことを話しており」というのを聞くと、その"訳のわからないこと"がどんな内容なのかむしょうに知りたくなる。
仮に自分が何かで逮捕されたとして、「訳のわからないことを供述」と認定されるためにはどんなことを言えばいいか、頭の中で練習してみることもある(中略)"訳のわからないこと"として片づけられてしまった無数の名もない供述、それを集めた本があったら読んでみたいと思うのはいけない欲望だろうか。そこには純度百パーセントの、それゆえに底無しにヤバい、本物の文学があるような気がする。
これを読んでから、わたしも「訳のわからないこと」が気になって仕方ない。ひいては、岸本さんがどんな人なのか気になって仕方がない。自称ゴンズイ似の岸本さんに会ってみたい。
ページをめくるのが楽しくて仕方ないエッセイ集です。おすすめです!
(夏目インストラクター 2012年4月)